久保 貞二

只今、ご紹介に与りました久保貞二です。僭越ながら表彰者を代表して、ご挨拶とお礼を申し上げます。
個人的には、現在、2度の白血病の事後治療中の身ですが、本日、米寿の表彰を受けることが出来たことは大変幸運なことと思っています。

私は、1956年(昭和31年)、日綿實業(株)東京支社に入社し、機械部に配属され定年まで機械部門の勤務でした。最初は繊維機械担当で、その時の1番の思い出は日清紡と香港中国染廠との合弁で香港に紡績工場の建設でした。日清紡工務部に席を頂き約半年、午前は日綿、午後は日清紡での勤務でした。
その後、工作機械課に移り、そこで1962年はじめて海外出張で ブルガニアに行きました。
その後は、翌年インド・カルカッタ支店駐在となりました。4年半の勤務中で大きな出来事はインド国鉄のマドラス郊外の交流電車機器の国際入札でした。本命の日本連合(日立、三菱、東芝3社)を含む世界の重電機メーカーに対してニチメンは富士電機、東洋電機と組んで応札し1番札となりました。しかしながら入札書類に欠点があり失格となる処、ちょっとした機転で受注に成功しました。
カルカッタからの帰国後は、柴田利雄元日綿取締役が管財人である更生会社三善工業で管財人補佐として、約2年半勤務して更生終結に迄こぎつけつけました。この時の経験から私は以後営業経理を担当することになりました。
その後、バンコックのヤンマータイランドの財務経理責任者として、設立当初から4年半も勤務いたしました。
定年後は縁あって食糧部門の関係会社に68歳まで勤めました。
兎にも角にも、本日、この場に立って、晴れの表彰を頂くことができたことは、真に幸運なことであり、関係各位に感謝を申し上げ、また最後になりましたが双日様の今後の発展を祈念して私のご挨拶といたします。どうも有難う御座いました。