福冨 直明 様

本日は、長寿のお祝いをいただき、有難うございました。
昭和29年(1954年)に入社した頃の日綿の姿を思い出しながら、米寿代表として御礼の言葉を述べさせていただきます。
入社当時の東京支店は室町の近三ビルにあり、まだ役員室もなく、石橋支店長や松岡常務が階中央の役員席、フロア全体を見渡せる位置におられたと記憶しております。
給料日はなぜか毎月10日。電話は交換台を通じての固定電話、海外との連絡は、eメールはもちろん、テレックスもない時代で、ケーブルが主力、電信課の方々が毎朝海外からの入電を配って下さっていました。電卓もまだ発明されておらず、足し算引き算は算盤、掛け算割り算は手動の重いタイガー計算器。それも各課に一台ずつ配置されてはおらず,近三の二階に3~4台しかなく、乗除計算をするときは空いている計算機を探してフロア中をうろうろしたものです。社員食堂もなかった。なんとも前時代的だったのはトイレが男女共用だったこと。この問題は1955年か56年に改装工事が行われて改善されました。残業だけは現代のブラック企業なみにきつかった。
これが米寿組の入社当時の仕事環境の寸描です。パソコンや携帯を使いこなして商談を進めている現在の若い人たちには想像も出来ぬ世界でしょう。
1987年の初めに退職して、米国のメーカーが新設する日本法人に移りました。一から始める仕事だったので、就業規則も作らねばならず、ニチメン退職時に社員証のバッジは返せと言われたが、就業規則は返せと言われなかったので、これを下敷きにして、立派な就業規則を作文しました。この新会社の経営管理には1954~55年に日綿で叩き込まれた簿記の知識が役に立ち、日綿の教育をありがたたく思いました。
あの頃、社屋だった近三ビルは解体されてもう存在しないだろうと思っていたら、なんと昔の姿のままで残っており、しかも東京都に歴史的建造物に選定されています。面白いのはこのビルが完成したのが昭和6年、つまり今年米寿を祝って戴いた我々と同い年なのです。
ともあれ、我々一同、並びに歴史的建造物の米寿到達を祝って下さった社友会の皆さまに心より御礼申し上げます。有難う御座いました。

ご長寿6名 修整

【 出席長寿者 】
白寿(1920年生まれ):望月昌徳
米寿(1931年生まれ):河西良治 大西勇 橋爪覚 福冨直明 深尾孝

【 欠席長寿者 】
米寿(1931年生まれ):
青木繁行 石井幹雄 内田英三 海野敏夫 大森啓作 
杉浦幸雄 東門申三 西奥薫尚 松田實

(2018年1月18日 11:30~13:30 本社21階)