本稿は筆者が大分時代(2000-2006)に執筆したものです。
 「日田・竹田、臼杵・杵築に宇佐・佐伯」といえば口調がいいが、大分県の見どころは、まだまだこれではおさまらない。このほかにも「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」とうたわれる別府や、中津・大分のような町があるし、海・山・川など自然の美しさは格別である。
 そのなかでも、臼杵は歴史的な風情を残す静かな町のたたずまいが愛される有名な観光地の一つである。この町に生まれた著名な人物に、明治生まれの文豪野上弥生子がいる。市内にある小手川酒造の二代目の長女として生まれ、99歳まで現役の作家として活躍した。市内には野上弥生子文学記念館があるし、彼女が東京に住んでいた家を移築した「野上弥生子成城の家」もある。
 東京にいた野上弥生子は、夏目漱石の教えをも受けて文筆を執る傍ら、臼杵の名門フンドーキン醤油のオーナーとして、その経営に関与した。その間、同社の社長を東京に呼んで、いつも次の三点にしぼって、経営の状態を問いただした。すなわち、「お味噌の味はよいですか」・「社員の給料は十分ですか」・「銀行の借入れは減っていますか」というのである。
 「お味噌の味はよいですか」というのは、いまでいう「顧客満足」であって、これを最初に質問したことは、野上弥生子の経営感覚の正しさを証明している。最後に出てくる「銀行の借入は減っていますか」というのも、日本経済の現状をみれば、これが重要なチェックポイントであることは明らかである。今や多くの銀行に不良債権が山積し、借り手の責任だ、いや貸し手の責任だと、大騒ぎになっているからである。とくに過大な借金を抱えて行き詰まった企業が多すぎる。銀行借入れを減らすことに絶えず努力しながら、本当に金が必要なとき・採算に十分自信がある事業をするときに、最低必要額を借りるのが堅実経営である。
 ところで、銀行の借入れは減らしながらも、社員には十分な給料を支払え、というのはなぜか。とくに後者を前者に優先させて、二番目のチェックポイントにおいているのはなぜか。社員に十分な給料を支払うことは、企業としてどのような意味があるのか。企業業績改善のための常套手段としての人件費の削減は、企業経営者が避けるべきことなのか。とりわけ、どのような経営をすれば社員に十分な給料を払い続けることができるのか。こういった疑問について筆者は考え続けてきた。本稿はこれに対する筆者なりの、現時点における解答である。
 心理学者マズローが提唱した「自己実現」という考え方は、大変よく知られている。とくにかれの欲求断層説は有名である。かれは三角形を描いて5段階に分け、最下段に「生理的欲求」、その上の層に「安全への欲求」、さらにその上の層に「社会的欲求」、さらにその上に「尊敬への欲求」と記し、最上層に「自己実現への欲求」と記した。人はそれらの欲求を最下層から順次上層へと満たしていき、最後に人の欲求の最高段階としての自己実現欲求をもつに至るという。
 この説を社会科学の分野に応用する場合には、最下層の「生理的欲求」は「生存への欲求と書き換えることが必要である。「生理的欲求」は心理学が対象とする個々の自然人の欲求であるが、個人と社会との関りを研究対象とする社会科学では、個人の最も基礎的な欲求は、個人が属する社会の中での「生存への欲求」として現れるからである。以下ではそのように置き換えた上で、論を進めたい。
 このマズローの欲求段層説については、最上段の自己実現という概念が、とくに経営学において愛唱されている。経営体あるいは経営体中の個々の組織の目標とそれに属する個々の経営者ないし従業員の自己実現の目標とが一致するとき、経営体・組織に属する個人は最も幸福感を感じるし、経営体・組織は最も効果的に目標を達成することができる。このように経営体や組織を運営することが、理想的な経営だという主張からである。
 この現在の有力な主張に対して、筆者は異議なく賛意を表したい。そして以下ではこれを基に議論を展開したい。しかしながらマズローの欲求断層説の優れている点は、最上段の自己実現にだけあるのではなく、それに至るために踏むべき段階を、4段に分けて明示した点にあると思う。とりわけ、生存への欲求が実現され確保されなければ、個人は自己実現への欲求を実現することができないのである。
 生存への欲求を充足するためには個人の努力もさることながら、個人が属する国家や企業による保障が必要である。生存権の保障は日本国憲法など近代国家の憲法に多く見られるが、企業は国家よりもさらに直接に、個人の生存権に関与する。企業の存続のために最も基本的な要求は利益の確保である。企業が利益を確保してこそ、従業員に十分な給料を支払うことができ、従業員は十分な給料を受けてこそ、企業内で自己実現に励むことができる。従業員が自己実現をしてこそ、企業の収益も向上する。この関係は「生涯一エンジニアでありたい」といい続けてノーベル化学賞を受けた田中耕一氏と、雇い主である株式会社島津製作所との関係に、その例をみることができる。企業と従業員の間にこの関係が成立すれば、自己実現ができなかった社員は、それのできる職場を求めて企業を去っていき、企業内で自己実現ができる社員は、十分な給料を得て、それに励む。
 野上弥生子のいう「従業員の給料は十分ですか」という質問は、そのような関係が企業内に成立しているかどうかを問うたものと、筆者は考える。