今年最大級の台風19号が関東に近づいているという状況下でしたが、実行当日の10月10日は、正に嵐の前の静けさとも言える好天に恵まれました(これまでのジンクスが守られました)。
参加者は前回より増えて14名(石原、奥村、川西、蛭田、斎、五十畑、青木、近藤、赤城、大場、大羽、木津、滑川、入江)となり、集合時刻の10時には王子駅に14人全員が揃い、いざ出発。

◎飛鳥山公園

 王子駅を出て数歩歩くと、目前に飛鳥山公園と書かれた標識と共に、ケーブルカーらしき箱型の乗り物が現れました。係員のおじさんが「大丈夫、20人は乗れますよ、直ぐに発車します」と言ったので、全員慌てて乗り込みました。この「アスカルゴ」と名付けられた運賃無料のモノレールは、駅前歩道から飛鳥山山頂まで僅か2分で登り、車いすやベビーカーもOKとのこと。
東京都もいろいろな細かい便宜を考えているんだなと感心させられました。モノレールを降りて
公園の敷地内に入ったところで、早速、リーダーの奥村さんからウォークルート及び注意事項の説明を受け、軽くストレッチをしました。ところが、最初の見学施設ともいうべき渋沢資料館と紙の博物館が共に休館中で見学できず、いきなり出鼻を挫かれた感じでした。
 この飛鳥山公園は江戸時代に八代将軍・徳川吉宗が、庶民の行楽地として千本以上の桜を植えたとされ、以来、現在に至るまで桜の名所として親しまれています。そして、公園の南はずれの旧渋沢庭園では、「青淵文庫」と「晩香炉」を見ることができ、近代日本の経済発展に貢献した偉人渋沢栄一の人間性の一面を垣間見ることができたと思います。

◎西ヶ原一里塚

 渋沢庭園の後、本郷通り(御成街道)を田端・上野方面へ歩きました。途中、道路の真ん中に大木と「西ヶ原一里塚」刻まれた石碑がある。この一里塚は江戸幕府が諸街道整備のためにほぼ一里間隔に築いた目印のようなもので、東京23区内に18か所あったものの一つだそうです。

一里塚


旧古河庭園

◎旧古河庭園

 更に本郷通りを少し進むと、立派な門とその奥に大きな洋館風の建物が見えました。門には旧古河庭園と書かれた大きな表札が掛かっています。入口のサービスセンターで、古河庭園と六義園の2か所に入場できる共通入場券「園結びチケット:200円」を全員が購入しました。
 入場すると、直ぐに広い花壇があり、一面、真っ赤なバラに覆われていて、まるでお伽の国の世界に飛び込んだような気分になりました。花壇を進むに連れて、赤だけでなくピンク、橙、黄、白、青等の様々な色彩があり、また、紋様も縞、波、曲線、斑点等 多種多様であり、本当に面白いと思いました。また、各々の花の前には過去から現在におけるその花の命名者や、その花を最も愛した人物(大半が女性ですが)の名前を記した名札が設置されており、更に興味をそそら
れました。
 この古河庭園は、北側斜面には洋館と洋風庭園があり、南側低地には池や滝を含む日本庭園があり和洋併置の庭園であるとのこと。正に今が満開のバラで埋め尽くされたテラス式庭園の途中階段を利用して、見学中の女性に集合写真のシャッターをお願いした。

◎ランチ

 古河庭園を出た後、駒込駅近くの中国人経営の「餃子専門店」で昼食、皆さん、本場の味に満足されていたようでした。

◎六義園(りくぎえん)

 駒込駅を過ぎてほんの少し歩いたところで、再び立派な門が見えました。その門に「六義園」と書かれた表札が掛かっています。そこで、古河庭園で買った「園結びチケット」を提示して入って行くと、直ぐに巨大な枝垂桜の木が現れました。
 「ここは以前に来たことがある。」と数人が異口同音に話されていました。確かにこんなに大きくて立派な枝垂桜は珍しいので、人気の名所となるのも無理はないと思いました。もう少し進んで行くと大きな立看板があり、六義園の由来や歴史、園内構成等の詳細情報が書かれていました。

 「とにかく広そうだから、経路の標識に沿って順番に見て行きましょう」とのリーダーの言葉に従い、皆、ゆっくりと着実に歩み始めました。最初に現れた滝見茶屋では、「結構大きな滝があるんだ。」と何人かが感心したような声を上げていました。そのうち、吹上茶屋の辺りから次第に歩道の上り下りが増したり、段差や木の根につまずきそうになったりと歩くのが大変になってきました。更に、細長い岩板だけで造られた「渡月橋」を渡る時は、一歩一歩慎重にゆっくりと歩かざるを得なくなりました。その先では、池の中にある「中の島」に入ることが禁止だったため、反対の陸地側に進むと、いくつかのベンチを備えた休憩地があり、そこは萩と紫陽花に囲まれていました。紫陽花はもう咲いていませんが、萩は真っ盛りで綺麗でした。
 そして最終ゴールが近づいた休憩所前のベンチでは、全員が陣取って座り、「あー疲れた」と言いつつ、大池を眺めていました。この辺りは高い木が多く林のようになっており、直ぐ近くの木はまるで魚の鱗のような樹皮に覆われています。突然、誰かがこの変わった大きな木に付いている名札(「柞の木」と書かれている)を見て、「これ何て読むんだろう?」と呟きました。すると、奥村リーダーがドヤ顔で、「イスの木と読むんだよ」と答えました。そして彼はゆっくりとその木に近づき、名札をひっくり返して裏を見たところ、「イスの木」と読み仮名が書かれていました。「何だ、もっと早く裏を見れば良かった。」と、皆、一斉に大爆笑。

この六義園を見終えたところで、石原会長が、「所要のため、ここで失礼します。」と、帰路に就かれました。(遠方より参加頂き、お疲れさまでした。)

その後、六義園を出て、住宅街を通り、巣鴨駅方面に向かいました。

◎とげぬき地蔵

 巣鴨駅前を通り、白山通りから巣鴨地蔵通り商店街に入り少し進むと、正面に「とげぬき地蔵尊本堂入口」という横断看板が見えたので、それに従い境内に入ると、そこはお年寄りや車椅子に乗った身障者とその付添人で溢れんばかりの状況でした。本殿を参拝した後、境内広場に設置されたベンチに座り、茫然と辺りの風景を眺めていましたが、「自分もいつか斯様な神仏頼みをする事態になるかも・・・」と、気掛りになりました。

その後、巣鴨駅に戻り、「お疲れ様でした」の合図で一斉に解散、帰路に就きました。
尚、有志の方々による所謂「反省会」では、本日の感想、次回開催候補、昔の話などワイワイガヤガヤと盛り上がりました。

以上