私が日綿實業株式会社(以下ニチメン)に入社したのは2年間のアメリカ留学を終えた帰国直後、1960年8月のことでした。新入社員の8月受け入れは前例がなく、まさに一人ぽつんと入社を許されました。それから在籍したのは3年有余でオリエント・リース(現オリックス)設立のため出向となり新しい会社で働くこととなりました。出向ですからすぐにニチメンに帰るのだとばかり思っていましたが、予想に反し今日に至るまでオリックスに在籍しニチメンを離れることになってしまいました。人生というのはわからないものです。

オリックスが少し成長した頃、福井慶三元会長から「君もニチメン出身なのだからぜひOB会に入会しなさい」と嬉しいお声がけをいただき、当時のダイエー中内功オーナーと共にこの会に入れていただきました。誠に恐縮ながら会合には出席することなく今日に至っておりますが、いつも会報を読ませていただき昔の上司・同僚の消息を拝見しておりました。

私が入社した当時のニチメンでは、新入社員はまず算盤3級の資格をとることが義務付けられており、4月以降連日始業前の朝8時から算盤教室が開かれていました。入社初日から早速教室に入りましたが時は既に8月。皆さんの多くが3級を取得されており、教室は僅か数名のみでほどなく終了となりました。恐らく私は社内で唯一算盤のできない社員だったのではないかと思いますが、その後すぐにタイガー計算機が導入され「これで計算できる」とほっと胸をなでおろしたものです。

私は調査部に配属され、そこでの仕事は社長室の下請け、具体的には会社の業績の分析・部店長会議の議事録作成、あるいは対外会議の代理出席など、華々しい商社活動とは縁遠いものでした。平岡さん・東門さん・松村さん等懐かしい先輩の名前が想いだされます。長期計画のお手伝いもしました。  

当時ニチメンは総合商社5位でしたが、それを何とか3位に引き上げようというプランでした。総合商社が十数社あった中でまだまだ元気であったような気がいたします。当時の商社は米国の色々な事業を見倣って日本へもってこようという動きがさかんでした。例えばスーパーマーケットやリース事業など、今でいうベンチャービジネスです。オリエント・リース設立もそうした一環であり、ニチメンの非繊維部門強化が目的だったのでしょう。

当時初めて海外研修制度ができ、若手社員は皆挑戦しました。私は松島課長から「調査部から受験するのだから、あまりみっともない成績では困ると」と言われ慌てて貿易手続きなど勉強して受験をした記憶がありますが、どうしたことか成績が良く、当時の人事担当の豊田常務から「君は試験の結果が良かったので研修の必要がない」というようなことを言われ、まもなく海外赴任待機ポストである海外統括部に異動となりました。「できれば先進国に行きたいな」などと海外への思いを強く抱きながら仕事をしていたことを思い出します。恐らくリース提携先派遣となったのは語学が出来、赴任待ちで暇だろうとみられたのでしょう。サンフランシスコで3か月間研修を受け新しい会社へ出向となりました。

会社が動きだすとその一部となってたくさん仕事を抱え、再三帰るようにと言われながらそうもならず転籍をさせていただきました。そしてニチメンとは大株主としてのお付き合いになりました。当初は資金調達が大問題だったのですが、ニチメンが率先して株主保証を出してくれたことでスムーズに会社が立ちあがったことは忘れられません。また当初は全ての営業を機械部等のお願いしその協力で初めて顧客を作ることができました。機械部の満嶌専務・山口課長・水庫さん・与儀君等々忘れられない方々です。上層部から一般社員の方々まで、実に多くの皆様がオリエント・リースをまさに自分たちで作った会社だという意識を持ち、終始応援をしていただきました。本当に有難い大株主であったと今も感謝の念にたえません。おかげをもちましてなんとか今のオリックスの礎を作ることできました。

私もニチメンを気持ちの上ではいつまでも親だという思いを忘れることなく経営をしてきたつもりです。こうしてニチメンとの温かで親密な間柄が長く続いてきたのだと思っております。この場をお借りいたしあらためまして感謝申し上げます。