会員の皆様お元気ですか?
今、原稿を作成中ですが、世間では新型コロナウイルスで大騒ぎをしている最中です。ご高齢の方々には神経質にならざるを得ないと心配しています。新型コロナウイルスなどに感染せぬよう免疫力を強め努力されている日々過ごされていると思います。

さて、ニチメン東京社友会は14周年を迎え14周年社友会史を作成し、社友会設立発起、準備期間等々を記録に残し会員の皆様にご披露しては如何でしょうかとの有志からご提案をいただき、関係者全員賛同し作成する運びとなりました。会員の皆様の心に残る社友会史になればとの想いで、当時を思い出しながら出来得る限り詳細に文章を作成いたしました。

 私は2005年4月に北京から帰任し、双日株式会社人事総務担当役員の肩書を拝命し業務に邁進していました。合併して間がなくごたごたした状態でしたので、人事総務関係では整理整頓するべき案件が多々あり、営業一筋で育った私には些か悩ましいこともありました。或る日、西村顧問(当時の肩書)から、ニチメン出身で年金問題、長月会廃止に関わっていない且つ人事総務関係の君が最適と思うので提案したいとお話がありました。内容はニチメンの社友会を発足することでした。日商岩井には社友会が存続しており、一方のニチメンにも社友会があるべきとのご指摘でその任に就けとのことでした。長月会は全て会社が運営していたが、日商岩井の社友会は自主運営されており、会社も無配の状況では会社から資金援助はできないので自主運営前提の社友会設立をお願いせざるを得ぬとのことでした。主旨を詳細に当時社長の土橋さんに報告を行い社友会発足のご承諾いただきました。
具体的に作業に入る前に何方に相談すればよいのか?長月会の解散経緯も全く承知しておらず、手順を間違えば成就せぬと思案をしていました。可成り気安くお付き合いさせていただいていた先輩にご相談した折に、第一声が「僕は一切関わらないから本件には耳を貸さない」と、言われ、過去に何があったのか更に憂鬱になりました。少し悩みましたが、何らかの行動しなければ前進せぬと心に決め取っ掛りを探っていた折に、東京化工部のOB会が開催され参加させていただき現役として挨拶しろとのご指示があり、この場でニチメン社友会の設立をご提案させていただきました。その場ではそれほどの反響はありませんでしたが、濱田さんから、「石原君、応援するから社友会の件は是非成功させてください」とお言葉をいただき、後日詳細にお気持ちを綴られたお手紙をいただきました。僕は間違ったことをしているのではなく先輩たちのためになることをしているのだと確信しました。
幾日か経った折に、岩田昭二さんが私に会いたいとお電話いただきお目にかかることになりました。岩田さんがジャカルタ駐在員事務所長をされていた時代に、私は合成樹脂駐在員として業務に携わりいろいろとお世話になった経緯もありお互いに気心を知っていた間柄で、「元気か?」「ご無沙汰致しておりますが、岩田さんこそお元気ですか?」と裃を脱いだ会話から始まりました。本題に入り「石原、OB会を作るのは本気か?」、「本気です」、「二階に上がって梯子を外さないな?」、「そんなことはいたしません」、「分かった。応援する」と同席されていた長谷川さん等に「準備チームを作ろう」と始動したことを覚えています。
 東京が動き出したので、大阪に出向き大阪のOBの方々に社友会設立の趣旨をお伝えするべく主たるOBの方々に中之島の事務所にお集まりいただきお話させていただきました。
然しながら、会社から資金面の援助がなければ無理とのご意見が圧倒的で「何時になれば資金面の協力が得られるのか?」とのご質問もありましたが、「復配すれば」と喉まで出たが会社からの確約を取れていないので、飲み込み「時期は分りません」と答えざるを得なかった記憶があります。二度ほど会合を持ちましたが、「大阪は大阪で考えるから東京が先行しても何ら問題ない。大阪の総意は会社からの資金協力がなければ設立は無理」との結論になりました。東京、大阪以外の地区へのお声掛けすべきか検討し、名古屋地区にOBの方がいらっしゃるとの情報を得て、5~6名の方にお集まりいただき社友会の設立趣旨をお話し、人数的に名古屋単独の組織ではなく、東京或いは大阪で設立された社友会に合流をお願いしましたが、名古屋単独の組織設立を希望され会社として断念せざるを得ぬとお答えした経緯がありました。風の便りでは、現状有志の皆様方で名古屋地区のニチメンOB会を運営されているとお聞きしています。
 東京の準備チームの進捗状況は逐次ご報告いただきご苦労されているご様子は承知していました。東京で具体的に作業が進んでいる情報が大阪に伝わり大阪も動き出すのではと感じていました。2006年度から人事総務担当役員から海外拠点、関連会社担当役員と職務が変わり、社友会設立の直接業務から離れることになり、全ての報告を会社の然るべき方に行い、会社としての決裁事項は人事総務担当役員にお願いし、会社の窓口として青木さんにお願いすることにし、新たな任務に異動しました。職務権限がありませんので前面には出られず、ご相談に乗る程度で準備チームの方々には「石原は敵前逃亡した」と思われたかもしれません。
 2006年夏、ニチメン東京社友会発足会が如水会館で開催され出席させていただき先輩の皆様方が楽しくご歓談されているご様子に接し、社友会が設立出来本当に良かったと実感した次第です。私はその後、営業部門長に異動、関係会社社長に就き忙しく職務に邁進して社友会とは少し距離が出来ましたが、関係会社の顧問に就任した直後、島崎会長(当時)からお電話いただき「健康状態が芳しくなく、社友会会長職を石原君に継いで欲しい」とご要望を承り、お声の状態から判断すればお断りできる状況でないと感じ、「承知いたしました」とお応えしました。翌日長谷川さんからお電話いただき、2015年度総会にて会長就任承認するので、会長ご挨拶を行って欲しいとお話しいただきました。総会当日会長就任が承認されました。会長に就任して既に5年が経ち世話人会の全員が第二世代となり運営を行っています。懇親会、新年会にて会員の皆様が親交を温め合い楽しいひと時を過ごされている光景を目にし、社友会の重要性を改めて感じています。15年目に入り新たな課題として財政面の厳しさを克服すべき時期になっています。社友会の存続は、現会員のみならず、将来新規加入いただける方々にとっても、不可欠なものと固くわたくしは信じています。その中で、会員数の減少や高齢化に伴い存続のための基盤である財政面が厳しくなりつつあり、その強化と堅固化のために皆さんのご理解とご協力を得たく、この機会にお願いし拙文を終わらせていただきます。もちろん、今後とも、こうした課題克服に一生懸命でまいる所存です。

以上