私は1967年にサンフランシスコ支店に配属になりましたが支店長は佐藤正和さんでした。陸軍士官学校を卒業されて次のステップである陸軍大学への進学のため今でいうインターンとして旧満州の部隊で研修中に終戦を迎え復員後に神戸大学に進学、卒業したというお方で大変な紳士でしたが職業軍人としてのエリート教育を受けた人が商社におられることにやや違和感がありました。

 その後任が繊維部門から来られるというので大阪の繊維商いで鍛えられた所謂商売人タイプの人かと期待していましたが新支店長は理論派で現場主義の私とは肌合いが違うというのが第一印象でした。サンフランシスコ支店には繊維の商いは全くないのに繊維部門からというのはマネジメントの勉強のために会社が派遣したのだと思いましたがアメリカ人も入れて10人足らずの店では勉強になるような材料はあまり無く大村さんは切歯拒腕の毎日だったと思います。

 さすがに支店長としての役割、責任は自覚されていました。私が売った旧三菱製鋼の板バネ用鋼材が熱処理するとひび割れが出るという当時としては10万ドル以上の大きなクレームが発生した時は三菱製鋼の担当常務が出張してこられ何とか解決したのですがこの常務がラスベガスに行きたいということでそれなら俺が一緒に行ってやると大村さんが言って下さりカジノのABCも知らない私は本当に助かりました。

 サンフランシスコにはペブルビーチ、スパイグラスなどの有名ゴルフ場を目当てに社内外のおえら方がよく立ち寄られましたが失礼ながらゴルフはそれほどお上手ではない大村さんが必ずお供されるのに感心しました。いま思うとこれも支店長の大事な仕事です。

 思い出は尽きませんがご冥福をお祈りしながら筆をおきます。

合掌