園山君の突然の訃報に接し、ただただ悲しみと共に残念の一言です。

私は1965年日本外務省の仕事で、初めてカンボジアを訪問、当時のニチメン・プノンペン久澤所長の案内で日本大使館にご挨拶に伺った際、一等書記官であられた園山君の父上から「息子がニチメンさんにお世話になっております」とお聞きし、その上、夕食にまでお招き頂くという過分のおもてなしを受け、「ニチメンの園山君」を知るところとなりました。

彼は持ち前のフランス語の特技を生かし、パリを拠点としてアフリカのフランス語圏を飛び回り、大活躍をされたことは周知の通りです。反面、アフリカでの生活環境は劣悪きわまりなく、象牙海岸アビジャンでのゴキブリ退治の苦労話は何度となく聞かされたものです。

私のDD駐在時代、何度か休日にパリを訪れる機会がありました。園山君の運転でパリ郊外のブザンソンとかいうお城のある田舎町を訪ねました。そこにはJF MILLETが晩年を過ごしたアトリエがそのまま残り「落ち穂拾い」や「お告げの祈り」の静かな田園風景の世界が横たわっていました。羊の大群こそいませんでしたが、フランスのべつの顔を見せて貰いました。

彼はスポーツ大好き人間でした。特にテニスでは大学時代から鳴らしていました。今夏は炎天下のテニスで何度か暑さにやられ入院騒ぎまで起こしていました。ゴルフではベルサイユ宮殿近くの素敵なゴルフ場で長打を競いあったこと。最近では会社同好会のゴルフにも加入し、切磋琢磨、更に上を目指して、コロナの終息を待つ日々を過ごしていました。

そして、突然逝ってしまいました。

園山君 一寸急ぎ過ぎだよ! 合掌