日本ビジネスインテリジェンス協会 会長中川 十郎 氏
中川 十郎 氏

世界的に“市民権”を得た
日本ビジネスインテリジェンス協会

今激変する世界政治、経済を正しく理解するために、競争情報、ビジネスインテリジェンスを中心とした情報の収集、分析、活用による的確な未来戦略がますます重要になってきている。中川十郎 日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)会長(名古屋市立大学22世紀研究所特任教授)に聞いた。中川会長は同協会を1992年に立ち上げて以来、2カ月に1回、28年間1回も休まず、これまで166回の情報研究会を開催、我が国唯一のビジネスインテリジェンス研究を牽引してきた。

ソ連の崩壊で各国の諜報部員が行き場を失って民間に流入
ー 本日はインテリジェンスについてお話を謳歌がいしたいと思います。まずは、日本ビジネスインテリジェンス協会の設立経緯について教えていただけますか。
中川 十郎 氏(以下、中川) インテリジェンスについて語る場合は1991年のソ連崩壊まで遡ります。このソ連崩壊によって、冷戦時代に報活動を行っていた米国のCIA、旧ソ連のKGB、英国のMI6、イスラエルのMOSADなどの一部諜報員は行き場を失い、民間に流入して行くことになります。軍事情報を集める必要がなくなったので、民間の経済情報を集めるようになったのです。つまり、敵国ではなく、国内外の競争会社の情報を集め出したわけです。一方、民間企業の方でも、世界市場がボーダレスとなり、国際競争が激化する中で、国際市場での競争優位を目指し、諜報機関や軍の諜報の手法を企業のビジネスに活用する競争情報(Competitive Intelligence)の研究が始まりました。競争情報の収集を徹底的に行い、自社、自国の競争優位獲得に活用しようと努力し始めたのです。
それに先駆けて、米国「競争情報専門家協会」SCIP(Society of Competitive Intelligence Professionals)CIA,NSA情報専門家、学者、実業家などにより、1986年にバージニアに設立されました。現在SCIP(Strategy and Competitive Intelligence Professionalsに名称変更)は会員3,000人に達し、毎年行われる米国での情報会議には約500人が参加しています。
日本ビジネスインテリジェンス協会会の設立の契機は、1989年に私がこのSCIPのニューヨークでの情報研究会にスピーカーとして呼ばれたことに端を発しています。ビジネス分野でインテリジェンスの必要に関して超大国に最も近い存在は、日本の貿易会社つまり総合商社ということになり、当時米国ニチメンのニューヨーク本店開発担当副社長だった私に白羽の矢が立ちました。以後私は、ワシントン、ニューオリンズなど毎年のように米国で講演、帰国後、1992年「日本競争情報専門家協会(SCIP)」を設立しました。
同時期に私は処女作ともいえる『CIA流戦略情報読本リアル=ワールド・インテリジェンスの世界」(HE.マイヤー著、中川十郎/米田健二訳/ダイヤモンド社/1990年)を出版しました。本書は、企業に対し、戦略情報の真の活用の仕方について指針を与え、情報洪水からいたずらに溺れることを救う目的で書かれています。
著者のハーバード・E・マイヤー氏は、1971年から81年まで「フォーチュン」誌の編集長として、国際経済ならびに国際政治の専門家として活躍。1982年1月にCIA長官特別補佐官としてレーガン政権に登用され、1983年1月には国家情報評議会副議長に任命されました。

情報は経営戦略を立てるために使う
「日本競争情報専門家協会(SCIP)」の設立総会&記念シンポジウムはとても盛会だったと聞いています。
中川 溜池山王の全日空ホテルで、産学官協力のもとに行われた、「日本競争情報専門家協会(SCIP)」の設立総会&記念シンポジウムは約300人の方に参集いただき大盛会でした。SCIPのアメリカ本部の会長、副会長が来日、フランス、スウェーデン、オーストラリアなどのSCIPの会長にも来日いただきました。
しかし、「日本競争情報専門家協会(SCIP)」は翌93年には「日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)」に名前を変えることになります。
それには2つ理由があります。1つ目は、第1回の設立総会をやってみて、日本では「競争会社の情報を収集する」ことに関しては、企業側もマスメディアもあまり良い感触をもってなく、協力が得られないことがわかったからです。また、私は「競争情報」という言葉には当初から懐疑的でした。大事なのは、「あくまでも自分の会社の経営戦略をしっかり確立することで、その上で、競争相手の情報を参考にすればよい」と考えていたからです。
2つ目の理由はもっと論理的かつ本質的なもので2つにわかれます。1つ目は、今日の急速に変化しつつあるハイテクノロジーのビジネス環境下では、自社に大きな損害を与える会社は2年前までは競争相手でさえなかった(名前も知らなかった)ということが多くなったことです。もう1つは、グローバル化した現在では、すべての競争相手が同じ経済的環境のもとで活動しています。従って、この環境全体を理解することから、さらにこの環境のもとでさまざまな力がそれぞれの競争相手にどのように影響を及ぼしているのかを、把握することから、大きな利点が得られます。
競合情報の収集だけに焦点を当てることについて、私が根本的に問題とするのは、それは能動的ではなく、受動的だからです。競争相手に注意を注ぐことしかやっていなければ、いつも競争相手のイニシアティブに反応するだけになってしまいます。そのため常に遅れをとり、追いつくのにあくせくしなければならなくなります。

世界は競争情報研究と経済情報研究の2つにわかれる
「日本競争情報専門家協会(SCIP)」のその後ですが、2001年4月に前田健治元警視総監がSCIPJapanを設立して意欲的な活動を展開、2006年の中断を挟んで、2008年2月に新たに「日本コンペティティブ・インテリジェンス学会(CI)」と名前を変えて、現在に至っています。私は2001年から顧問として名を連ねています。今年8月に行われた「日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)」のセミナーは「日本コンペティティブインテリジェンス学会(CI)」と共催で行い、同学会の最高顧問の松平和也氏と菅澤喜男名誉会長(前会長)にも講演していただきました。
現在、世界のインテリジェンス研究は、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、イギリス、アメリカ(UKUSA協定の5カ国、「ファイブ・アイ」)と中国などが推進する「競争情報」研究(Competitive Intelligence・CI)と日本、フランス、スウェーデンなどが推進する「経済AE(Business Intelligence・BI)と大きく2つにわかれています。
日本では、本のタイトルに「情報」が入ると売れない
日本ビジネスインテリジェンス協会設立から約30年が経過しようとしています。当時と比べて現在の環境に大きな変化はございますか。
中川 奇しくも今はまさに約30年前と同じです。当時は米ソの対立があり、現在は米中の対立があります。また、当時すでに、日本の大企業は商社を筆頭に、世界に100を超える支店がありました。しかし、競争情報、経済情報などインテリジェンスに関する教育は行われていませんでした。民間企業に関わらず、経産省ジェトロ、外務省大使館などを含めて、現在も状況はまったく変わっていません。面白い話で、出版社に言わせると、日本では本のタイトルに「情報」と入ると売れないそうです。
私は2、3日前に鳩山由紀夫元総理に同行して、中国安徽省合肥で開催の「世界製造業大会」(元ドイツ大統領で中小企業世界連盟のグローバル会長のクリスチャン·ウルフ氏が大会宣言)に出席して帰国したばかりです。合肥には、中国を代表する理系重点大学の「中国科学技術大学」があります。同大学は中国そして世界のAIのメッカです。ノーベル賞クラスの学者が集合、電気自動車や人工知能(AI)用の半導体に巨額の資金を投じている様子がよくわかりました。
本大会に参加して、日本企業のビジネスインテリジェンスの無さを痛感しました。大会は9月18日~23日まで開催され、フォーチュン·グローバル500社から100人以上の幹部と製造業内外企業の約500人の代表を含め、4,000人以上が参集しました。しかし、日本からは企業はもちろん、有職者の数も少なかったです。大会は総額4470億人民元(701億9,000万ドル)に上る430件以上の投資プロジェクトを調印、大きな成果を上げて幕を閉じました。来年は、ヨーロッパ勢の独壇場とせずに、日本企業もぜひ参加いただきたいと感じました。

参加会員累計は2万名、登壇した講師は累計500名
日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)のこれまでの活動についてお聞きします。延べ会員はどのくらいですか。会員のエピソードもご披露ください。
中川 現在の会員は約200名で、これまでの累計参加会員は約2万名に達しています。
2カ月に1回の例会は28年間1度も休んだことはありません。毎回約70名の有職者が参集されます。これまでご登壇いただいた講師は約500名です。会員は初回から約166回のうち、150回以上ご参加いただいている、91歳のドクター中松義郎先生を始め、すばらしい方々ばかりです。中松先生とは私が商社でニューヨーク駐在中の1988年にお目にかかり、以来31年間、公私ともにお世話になっています。現役の方のお名前を挙げるときりがありませんので、ここでは、残念ながら、鬼籍に入られた先生方の思い出を振り返らせていただきます。
まずは石川昭先生(青山学院大学名誉教授、大学院国際政治経済研究科の初代科長)です。先生には2000年以来16年間、BIS顧問として、長年にわたってご指導をいただきました。2011年2月には、日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)創設20周年と研究会開催100回を記念して共編著で「知識情報戦略」(税務経理協会刊)を出版しました。
同書は2013年には英訳され、シンガポールのWorld Scientific社から“An Introduction to Knowledge Information Strategy From Business intelligence to Knowledge Sciences〜”の書名で出版されました。BIS20年間の情報研究成果が英文で発信され、海外でも好評を博したことを今でも思い出します。
豊島格先生(日本貿易振興機構ジェトロ理事長、世界貿易センター会長、エネルギー庁長官、アブダビ石油社長、丸善石油副社長)も忘れることができません。1975年に駐在先のブラジルリオデジャネイロでお目にかかって以来、お父上が私と同郷の鹿児島出身であったこともあり、40年近く目をかけていただき、情報の専門家の紹介などでご助力をいただきました。
1974年にリオデジャネイロ総領事、76年にサンパウロ総領事を務められ、以来約40年ご指導をいただいたのは、スーダン大使、ウルグアイ大使を務められた平野文夫先生です。私がブラジルで主宰していた「ブラジル経済研究会」で顧問をお願いし、帰国後はBIS顧問に就任いただきました。外務省関連では、兵頭長雄先生(欧亜局長、ポーランド大使、ベルギー大使)も忘れることができません。ベルギーよりご帰国後の2000年から17年間、BIS顧問としてご指導をいただきました。
郷里の先輩でもある米盛幹雄時評社会長にはBIS顧問として、20年に渡りご指導をいただきました。義理人情に篤く、温厚でいつも笑顔を絶やさない人格者でした。宮脇語介中曽根内閣初代広報官(元皇宮警察本部長)には、20年近く情報研究でお世話になりました。

中川さん、今ちょうど真上に銀座・和光があります
最も印象深かったのが小野田寛郎元陸軍少尉(財小野田自然塾初代理事長)との出会いです。1977年にブラジルのリオデジャネイロ駐在中に御縁ができ、以来37年間に渡り、BIS顧問として、情報研究で親しくご指導をいただきました。小野田元少尉の口癖は「情報が正しいか否か、精査すること『偽情報に注意せよ」でした。小柄で物静かな紳士でしたが、鋭い眼光が印象的でした。小野田元少尉についてはエピソードがたくさんありますので、いくつかご披露いたします。

日比谷で一緒に地下道を歩いていた時のことです。突然、「中川さん、今この真上にちょうど銀座・和光があります」と言われました。自分の歩幅、それまで何歩歩いたかで計算をしておられたわけです。驚いて、近くの階段を上ると目の前に和光がありました。90歳になるまで、階段は必ず2段ずつ上り、体を鍛えておられました。
小野田元少尉には、何度となく拙宅にお泊りいただいたことがあります。お風呂を提供すると使用後、必ず綺麗に風呂掃除をされ、翌朝はベッドもシーツやカバーもきちんと片付けられ、家内ともども恐縮したことを思い出します。

小野田元少尉の著書「たった一人の30年戦争」(東京新聞社刊)は、英訳され”My Thirty Years War(わが30年戦争)”として、今も米国海軍兵学校の教材となっています。しかし、日本の防衛大学校で教材として使われたとは、寡聞にして聞いていません。
国際的には私の情報研究の恩師たるスウェーデン·ルンド大学のステバンデジエル博士に長年にわたりビジネスインテリジェンスのご指導をいただきました。
デジエル博士は1972年にルンド大学に世界で初めて「ビジネスインテリジェンス講座」を開設。ビジネスインテリジェンスの創始者と言われております。1990年10月にパリで開催される世界情報会議に講師として招聘された私は同じ会議に参加しておられたデジエル博士との運命的な出会いがありました。その時ご縁がもとでルンド大学の情報論講師として、たびたび招待される栄誉に預かりました。私は人生におけるデジエル博士との出会いに深く感謝しています。

30周年記念に向けて中国との関係を強化
過去も現在も、静々たる皆様が会員になっているのですね。BIS28年の歩みもご説明いただけますか。多くの海外視察団を出し、数多くの分科会などが開催されています。
中川 先ほど申し上げましたように、1992年に溜池山王の全日空ホテルで設立総会&記念シンポジウムが盛大に行われてから約10年後の2001年に、10周年記念行事として、キューバに18名の視察団を出しました。BIS研究会にお見えになっていた馬渕睦夫先生がキューバ特命全権大使になられたご縁です。現地では1週間滞在し、とても欲迎いただきました。また20周年記念行事として、「見えない価値を生む知識情報戦略」(石川昭、中川十郎編著/税務経理協会刊)を出版しました。今30周年記念に向け、時代の潮流が東アジアに向かう中で、BISとしても中国との関係を強化しています。2017年8月には、BIS関係者が河西省九江、北京を訪問、2018年には、1月に天津に18名の視察団、4月に楊凌、7月に「一帯一路」「伝統医療」研究にスリランカ、コロンボ、9月に山東省・灘坊市、内蒙古、大連、11月には楊凌西安に50名の大型使節団を派遣しました。2019年は、9月に浙江省浦江県に20名の使節団(BIS会員は6名)、同じ9月に大連そして安徽省合肥を訪問しました。私は現在、中国天津市河北区人民政府より招商大使、産業発展問、陝西省人民政府より一帯一路陝西友愛研究所副会長、山東省・青島市貿易顧問など数多くの海外顧問を委嘱されています。これらはいずれも、大学教授としてではなく、日本で唯一のビジネスインテリジェンス研究機関である、日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)会長として迎えられています。今、まさにBISは世界的に市民権を得るに至りました。
世界で唯一の「メディカルインテリジェンス」を研究
最後に、読者にメッセージやエールをいただけますか。
中川 日本では中・長期を見すえるインテリジェンスが不足しています。それは、日本の企業構成社員の中心は課(課長)であり、戦術レベルで仕事の方向性が決まってしまい、部長や役員まで上がって情報が昇華することがないからです。インテリジェンスが生きるのは、戦術レベルではなく、戦略レベルです。戦術が戦略に至らない最も大きな原因は、日本では情報教育が不足しているためと思われます。
読者へのメッセージですが、今後も、さらに多くのやる気のある若い有識者にBISに参加してほしいと願っています。最後にBISでは、「人生100年時代」を予見、20年前から世界で唯一のメディカルインテリジェンス研究組織「国際伝統・新興医療融合協会」(会員100名、中川十郎理事長)を設立。BIS名誉顧問の廣瀬輝夫先生(ニューヨーク医科大学名誉教授)のご指導のもとに国際的な健康医療情報の共同研究を続けていることを付け加えさせていただきます。(金木亮憲)