2006年、東京社友会発足時に、些かのかかわりを持ち、当初より世話人会メンバーとしてそれなりに汗を流し、2013年~2015年島崎会長時代には、倉又則夫さんとともに、副会長としてお仕えし、2017年に新旧交替で退任するまで、社友会発足とその後の社友会の地盤造りに携わった有意義な12年間を過ごすことができた。また、“社友会会報編集責任者”としても、1から20号まで、10年間携わった。ニチメンOBには、現役時代には窺い知れなかった、実に多くの碩学、博識の方がおられることを知らしめられた。
さて、話を草創期に戻すと、2006年1月25日、突然、石原啓資双日㈱人事総務担当役員から自宅に電話があり、“ニチメン新生社友会の設立趣旨”を今考え中で、その趣旨内容を説明したいと約30分にわたり熱心な話があった。
何故わたくしにも声が掛かったというと、当時、わたくしは、“ニチメン湘南グルメ会”(大先輩の安藤さん、野村さん、岩田昭二さんたちを中心とした20名ほどの集まり)の事務局的役割を務めていたからではないかと思う。それとも、岩田さんの示唆によるものか、ともあれ石原さんには、勿論、大賛成、如何なる協力も厭いませんとお返事をした。暫くして、岩田さんとご一緒し、双日に石原さんを訪ね打ち合わせをした。岩田さんは、初代会長となられる河西郁夫さんからも、社友会設立に向けての協力依頼を受けていたこともあって、設立に向けてGO AHEADの方向で動きがはじまった。

同年2月8日、双日本社会議室に社友会発足の為の打ち合わせ会に集まったOBは20数名で、会議室には、机がコの字型にならべられ、正面に半林亨元社長、石原啓資さん、双日㈱事務局の方が座り、両側に、河西郁夫、大田昭、太田陽之助、岩田昭二、水庫博夫、杉本佳久、廣田雄太郎、木村次朗、江花輝、岡島岩男、柴田豊、倉又則夫、栗田久弥、長谷川洋、田尻眞敬、橋本春彦、池田格、庭野松三、石川博保(順不同、敬称略)E.&O.E.の懐かしい名前があるが、すでに幽明界を異にされている方々も数多くおられる。

 発足時の会長は河西郁夫氏、副会長に丸山修作、岩田昭二氏、世話人代表に倉又則夫氏、あとは世話人として橋本春彦、長谷川洋、栗田久弥、大山弘雄、花澤和郎、浜口信恭、西村照男、高木亮一、倉持次雄、石川博保の諸氏で構成しスタートした。(2007年5月の会員名簿より)。
 私は、世話人や副会長として、この会に12年間関わったが、この12年間はあっと言う間だった。現役時代は国内であれ、海外であれ1か所が長くて4年だったことを思うと、わたくしの社会人人生で最も長い務めであり、感無量のところがある。年数回の世話人会、新年会、夏の総会とほかの世話人の方々と会の地盤の強化と盛り上げに努め、最初の2年間の手弁当時代も含め頑張った甲斐もあり、今日の会の姿を見るにつけ感無量だが、世話人の皆さんのこの間の献身と努力には言葉で言い尽くせない感謝の念をこの機会にのべさせてもらう。

 そのような産みの苦しみを経て2006年夏の第一回総会の運びとなった。わたくしはその後、3年間司会役を務めることになり、その間で強く印象に残るのは、第一回総会で挨拶された濱田雄三さんの(ジャカルタの浜やんで勇名をとどろかせた方だ)社友会発足を祝福され喜ぶ挨拶であり、同時に、社友会誕生に尽くした発起人、世話人への感謝の辞だ。後日、奥様より、その時に撮った写真を浜田さんが奥さんに見せ、“俺、格好いいだろう”と、自慢げにされ、ニチメンにも立派な、素晴らしい社友会ができたのだと誇らしげに語っておられたことをお聞きし、大変うれしかったことを思い出す。その浜田さんも2008年1月にご逝去された。さらに、会の歴代の会長、初代の河西郁夫さん(2007年)、2代目丸山修作さん(2008年)、3代目河西良治さん(2010年)、4代目島崎京一さん(2013年)、5代目石原現会長(2015年)と五代続いているが、既にうち3名の方が旅立たれている。更には、2019年に、社友会発足時のCharter membersの世話人全員がステージを去った。
わが社社友会も新たな時代を迎えたわけである。

 ここで、双日誕生前のニチメン社友会であった“長月会”に触れると、同時に、現ニチメン東京社友会との違いを述べてみたい。ニチメンOB会としての“長月会”は、“永く続く会”の異称もあるように長い歴史を持ち、1938年に結成されている。それが、2004年に一般会員にとっては、突然の上意下達の形で解散の通達があった。石原現会長が、双日上層部への根回しのあと、新生東京社友会立ち上げの発起人会を持つまでの2年間、社友会は消滅したままだった。 この“長月会”と現ニチメン社友会の違いは、前者は組織的に元会長、社長が総代を務めるピラミッド型組織(ヒエラルヒー型)だったに対し、わが社友会は、“OB,OGによる皆の、皆のための、皆による会”という新しいコンセプトで運営される会であり、両会の間には、組織としての拠って立つところの基本の違いが大きいことを認識し、現会長、あるいは、新たに加わる新規加入者が自らが運営する会であるとの認識を持ってもらいたいと思っている。

 筆を置くにあたり、会の今後の発展と存続を祈りつつ、そのためにも引き続き世話人会の献身的な尽力をお願いする次第。
 
 この紙面を借りて、最後に、70歳代から80歳後半までの社友会との関わりは、わたくしに、数々の想いでを齎してくれた、特に、人との出会いと別れである。 
これも人生というものだろうか!