中国とのお付き合いも今年で39年になる。初訪中は1980年の8月末である。ニチメンからの企業派遣で北京語言学院(=現 北京語言大学)という外国語教育を行う大学で現代中国語を学ぶためニチメンの同僚3人と一緒に1980年9月~6月まで1年弱留学した。当時は日中間の直行便のフライトは、成田⇔北京、上海にしかなかったと記憶している。航空会社も日本はJAL、中国はCAAC(=中国民航、現在は何社かに分社化された)の2社しかなかった。飛行機が北京空港に近づくと地上に見えるのは農地と防風林と未舗装の道路ばかりで、偶に馬車(実は後でロバが引いているロバ車と判明)がのこのこと移動しているのが見えた。飛行機が北京空港に到着すると、下り乗り用のタラップがつけられ、飛行機のドアが開いて最初に入ってきたのは、銃剣を背負った人民解放軍の兵士だった。これはドエライ所に足を踏み入れてしまったなと直感した。

北京語言学院は外国語を学ぶ中国の学生の他、中国の改革開放政策に沿って、海外から外国人留学生を数多く受け入れるようになり、国籍も様々だった。大学には中国人学生用・留学生用・モスリム用(中国語では“清真”という)の3つの食堂があった。留学生はもっぱら留学生用の食堂で朝昼晩の3回の食事を取る。欧米系の学生も多かったので、食事は中華風のウェスタンもどきだった。食事の度に宿舎の部屋から白塗りのホウロウでできたボールを2個抱えて食堂に行き、そこで事前に中国元と交換をしていた食事券(5元、1元、0.5元、0.1元だったと記憶)と引き換えに料理やご飯・パン等をボールに盛ってもらいテーブルで食べるスタイルだった。何ヵ月か経つと、留学生食堂の味に飽きて、友達になった中国人の学生の誘いもあり、中国人用食堂で食事を取るようになった。中国人食堂のテーブルの上にはインゲンなどの調理前の野菜が置いてあり、学生が食事の傍らでインゲンのヘタやツルを自発的に取るようなシステムだった。また食堂の給仕係も中国人学生の交代制で、知っている中国人学生が給仕当番だとオカズを大盛にしてくれたりした。

然しながら、中国人食堂の料理も油が多く使用されており、日本人にとってはまた中華かと閉口するようになる。そこで、同僚3名と一緒に北京友諠商店で冷蔵庫を買い込んで、南京錠をつけて宿舎の廊下に設置、大学の近くの市場で野菜を買ったり、北京友諠商店で生肉(勿論、豚肉と鶏肉が主流)や卵を買ってきて、宿舎の部屋に電熱器にフライパンを掛けて和食もどきを作ってよく食べた。この自炊のお陰でチャーハンの腕前が上がり、我が家ではチャーハンを作る時は私が料理当番である。

2018年5月現在の北京語言大学の大学校舎 古い校舎は取り壊され近代的な
校舎に立替られていた

2018年5月現在の北京語言大学の大学宿舎
雰囲気は昔のままだが寄宿舎の各部屋はリニューアルされている。
当時は殆ど自家用車などはなかった。バスと自転車が移動の基本だった。

2018年5月現在の北京語言大学の大学宿舎 10号楼(筆者が寄宿していた建物)
の331号室(写真矢印)を外から見上げた写真。331号室の真下がボイラー室で
冬場は騒音と煤煙がひどかった。窓はガラス入り木枠の二重構造だったが、気密性
が低いため、部屋の内側から木枠の隙間に紙を切って目張りしていた。現在は窓は
アルミサッシに交換されており、各部屋にエアコンも完備されている。

話が留学時代にフォーカスしてしまったが、今日の話題は中国の美味しい麺の話である。
留学を含め5回に分け、北京(留学1年)→上海(駐在5年)→北京(駐在5年)→北京(駐在2年)→大連(駐在3年)と合計16年間中国で生活した。この間に数多くの中国国内出張や旅行を経験した。中国には直轄市・省・自治区・特別行政区を合わせ34の一級行政区があるが、行ったことがないのは南から北に順に海南島・チベット・青海・江西の4つだけである。

2013年7月中国商務部と中国飯店協会により第2回中国飯店文化節及び第1回中国面条文化節で初めて「中国十大名面条(中国十大麺、中国十大面)」が選出され、武漢熱乾麺、北京炸醤麺(北京ジャージャー麺)、山西刀削麺、河南蕭記燴麺、蘭州拉麺(蘭州ラーメン)、杭州片兒川、崑山奥灶麺、鎮江鍋蓋麺、四川担担麺(四川タンタン麺)、吉林延吉冷麺が中国10大麺に選ばれた。小生が中国各地で食べた麺で美味しかったものを以下3つ紹介する。以下はいずれも中国10大麺にランクインしているのは興味深い。

①蘇州 奥竈麺(アオジャオ麺、中国語:奥灶面)
蘇州は中国で最も河と橋が多い街。 運河が栄えた姿は「東洋の水の都」と言われている。 観光地としても有名で、張継の詩 楓橋夜泊(月落ち烏啼いて 霜天に満つ 江楓漁火 愁眠に対す 姑蘇城外 寒山寺 夜半の鐘声 客船に到る)の舞台となった寒山寺を始め、沢山の庭園が存在、拙政園,留園など9つの古典庭園がユネスコ世界遺産に登録されている。
また上海から高速鉄道で約25分、約100kmの近さで非常に立地的優位性を持っている。
蘇州麺(日本の昔風ラーメンに近い)は有名で、基本は鶏がらスープ。白湯もあるが、醤油を加えたスープ(紅湯)もある、麺は細麺が基本。一方、仕事で蘇州で偶々泊まったホテルの朝食に出たのが奥竈麺(アオジャオ麺)で、これは非常に珍しいラーメン。元々は江蘇省昆山市の漢族の伝統麺で、発生は蘇州ではなく昆山と言われている。青魚という魚からダシをとった濃厚スープが特徴で、トッピングは好みで載せる。見た目、スープの色は真っ黒に近い(下記写真参照)。蘇州麺と違って味は濃目。麺に油っぽいスープがからんで実に旨い。蘇州に行くチャンスがあれば是非トライして頂きたい。

出所:百度(写真はイメージ)

②蘭州 牛肉麺(ニュウロウ麺、中国語:牛肉面)
蘭州はシルクロードの入り口の町である。市域は海抜 1,600m、市内を黄河が東西に流れる。市街地は黄河に沿って20kmに渡って細長く延び、黄河には12の橋がかけられている。
蘭州は漢族に次いで回族が多く、他にもドンシャン族、ユグル族、サラール族など白い帽子を被ったイスラム系住民が多い。古くからシルクロードの要衝で、秦の昭王の時代に隴西郡の地となり、漢代に金城郡が設置された。このため金城が蘭州の古名となった。隋代の582年、蘭州が設置されて現在の名称になった。清代に甘粛布政使が駐在した。中華人民共和国成立後、元南満州鉄道の日本人技術者とソ連の援助によって、宝鶏からの鉄道が開通した。
甘粛省蘭州で食べた牛肉麺も忘れられない。名前の通り牛肉が麺の上に置かれている。またスープはパクチー(香菜)とラー油が効き非常に旨い。蘭州牛肉麺は毎日新聞で以下紹介されている。中国西北部・甘粛省蘭州の郷土料理「蘭州牛肉麺」が日本で広がりを見せている。牛骨と薬膳スパイスのスープに手打ち麺が特徴で、中国では約3万5000店が展開するとされる「庶民の味」。また2019年4月8日(月)にカップヌードルからまたまた変わり種の商品が発売された。それが…「カップヌードル 蘭州牛肉麺(税込 184円)。日本で手短に手に入るのでご興味のある方はこれを是非お試し下さい。

出所:昵图网(写真はイメージ)

③成都 タンタン麺(中国語:担々面)
成都は「魏・呉・蜀」の三国志の時代から蜀の都として知られ、四川省の省都として、中国西南の政治、経済、文化の中心地となっている。漢方薬材の集散地であり、「天府の国」といわれる豊かな風土に育まれ、スパイスたっぷりの四川料理が人々の元気の素だ。劉備玄徳と諸葛孔明ゆかりの武侯祠や、詩人・杜甫が詩を作りながら暮らした杜甫草堂など、みどころが市内と郊外に多数点在している。また、中国で最も茶館の多い街でもある。
成都にある古くからある有名ホテルは錦江賓館である。この中二階のレストランで食べたタンタン麺(担々面)の味は辛さの中にうまみが閉じ込められていて、忘れられない味である。「担担」または「担担兒」は成都方言で天秤棒を意味し、元来、天秤棒に道具をぶら提げ、担いで売り歩いた麺料理のためにこの名が付いたと言われている。本場の中国四川省では、日本で言うところの「汁なしタンタン麺」が食べられている。もともと、天秤棒を担いで売り歩いていた料理であり、スープを大量に持ち歩くのは困難であったことから、「汁なし」が原型であるが、汁の入ったタンタン麺もある。麺は一般的にストレートの細麺で、鹹水は使わないので色は白い。四川風の花椒(華北山椒)(山椒の同属異種)とラー油の風味を利かせた醤油系の少なめのたれに、ゆで麺を入れ、「脆臊」(ツイサオ 拼音: cuìsào)と呼ばれる豚肉のそぼろとネギ、ザーサイなどを載せたスタイルのものが一般的である。タンタン麺を食べている時は非常に辛いが、食べ終わった後の爽快感がなんとも言えない。最近日本でもタンタン麺の人気が高まりファン増えており、成都のタンタン麺に負けない店が出てきている。辛いものが好きな小生にとっては幸せなことである。

出所:百度(写真はイメージ)

以上マイチョイスの中国の麺を紹介したが、これよりももっと美味しい麺があるやもしれない。
仕事・旅行等で訪中するチャンスがあれば、是非新しい麺に挑戦して頂きたい。

出所:中国まるごと百科事典の中国白地図に筆者加筆