昨年10月22日、小林君を失った。
奥様から通知を頂いたときに本当にびっくりした。
その前の年に、大学のクラス会で会った時には、足がやや不自由で杖はついていたが、ほかにこれという疾患があるとの話はなかったからだ。

小林君と私とは大学時代から親友であった。
大学入学時に第二外国語のフランス語の組で一緒になった。
前期、一般教養課程の2年間は、英語のゼミで一緒だった。
後期、専門課程では会計学を選び、2年間同じゼミであった。
就職の時は、当然のように二人一緒にニチメンに入った。

会社ではさすがに同じ部というわけにはいかず、私は金属部に、小林君は油糧食品部に配属された。
私の最初の海外駐在はマニラであったが、彼も前後してコンゴのキンシャシャ駐在となった。
私は、その後、通算すると7年半くらいの長期に亘って、米国ヒューストンの駐在や長期出張を務めたが、小林君はパキスタンのカラチやブラジルのサンパウロなど、厳しい地域を回っていた。
そんなわけで、会社では入れ違いが多く、なかなか会う機会がなかったが、会えた時には駐在地での話や、内地からの訪問者たちの噂話に花を咲かせた。
会社を退職してからは、二人ともアルバイト時代に、一層の親交を結んだ。

その間、一年に一度は大学のクラス会で顔を合わせたが、彼は家庭内のことに関しては口が堅くて、なかなかうかがい知ることはできなかった。
親友ではあったが、私は埼玉県の春日部市、彼は横浜市の住人で、お互いに家庭訪問はしていない。
ただ、私が35歳で埼玉に家を買う時には、彼は二つ返事で連帯保証人を引き受けてくれたし、私がヒューストン着任後6か月間単身だった時期には、留守家族のことは彼に頼んで色々お世話になった。ただ、私は彼のためにしてやれることは、なにもなかった。

謹んで小林靖之君の御冥福をお祈り申し上げます。