現地調査

小説の中では登場人物の住所や事件の起きた場所を、「港区西麻布3丁目XX番地」とぼかすのをよく見かける。ぼかさないと、その番地には50年住んでいるが、そんな屋敷はないぞと言った手紙を出版社に送ってくる読者がいるという。電話番号も、例えば3453-2356と出てくると、一応電話してみる人が結構いるらしい。だから、実在の番地や建物との合致を避けるための工夫が必要になる。他方、ホームズの住むベーカー・ストリート221Bを始め、実在の番地を平気で使う作家も意外に多い。米国の作家Robert Daley はニューヨーク・タイムズの欧州駐在員だったが、どういう経緯か、ニューヨーク市警の副本部長になり、1972年に退職して作家に転身し、”Year of the Dragon”(1981)という小説を書いた。この小説の中で、チャイナタウンのモット・ストリートの61番で賭博が行われているとの情報が入って、刑事が張り込む。日本では一つの番地は何軒もある区域の番号だが、米国だと建物一戸ずつに番号が付いている。モット・ストリートへ現地調査に行ってみたら、61番の建物は実在した。リトル・イタリーのマルベリー・ストリートの167番の食堂で、中国系マフィアとシシリア系マフィアが縄張り協定の会談を行なう。そこにも行ってみたら、本当にイタリア・レストランがあったのには驚いた。こんなに、はっきりアドレスを出してよいものか。
ニューヨークにDiamond Districtと呼ばれる一画がある。南北に平行して走る5th Avenueと6th Avenue(=Avenue of the Americas)にはさまれたWest 47th Streetの一ブロックで、この二百数十メートの道路の両側に宝石店がずらりと並んでいる。Thomas Chastin の1981年の小説“The Diamond Exchange”(邦題『16分署乗取り』)によると、世界のダイアモンドの半分がここに集まっていたという。最近では米国に輸入されるダイヤの90%がここを通過し、年商240億ドルとのことだ。1980年代にニチメンのニューヨークの店のあったStevens TowerはW 47th Streetと6th Ave.との角にあったから、Diamond Districtとは本当に目と鼻の距離だったが、言うまでもなく、買い物に行くゆとりはなかった。”W 47th St”の道路標識と並んで”Diamond & Jewelry Row”という通称の標識も出ていた。宝石店というと、銀座のティファニー、ブルガリ、グッチのような重厚荘厳な洋飾店の店構えを想像するかもしれないが、Districtに並ぶ店舗の雰囲気はむしろアメ横に近く、高級感が乏しい。ネットを見たら,まるで第三世界の蚤の市だとか巨大のサメのいる水槽みたいだと酷評した記事が載っていた。ここで買ったら安いような錯覚があるが、店員たちは強引で傲慢で嘘八百、ほかの地域の宝石店で買った方が安全だと書いた記事もあった。
Chastinが書いたのは、強盗団が47th Streetの91番地、93番地、95番地の宝石店を襲って、99番地のビルに逃げ込み、そこで消えてしまうストーリーだ。現地調査に行ってみると最初の三つの番号のビルは見つかった。しかし、99番地だけは見つからず、狐につままれた感じだった。このストリートは97番地で終わっていたのだ。Chastinは実在の番地の隣に架空のビル一軒建てたことになる。
 Dashiell Hammettの『マルタの鷹』(1930)はハードボイルド・ミステリの金字塔的古典で、いままでに5回翻訳され,(もっともこの作家の”Red Harvest”は7種類の翻訳が出ている)映画にもなった。ミステリ小説の場合、誰が犯人なのか,未読の読者にしゃべってはいけないという不文律がある。図書館で借りた本の冒頭の登場人物リストに赤ペンでこれが犯人と書きこんだのがあったとか。書評や研究書を書くにしても、犯人あるいはそれに関連する事物に触れずに書こうとすると歯切れが悪くなってしまう。私が「詳細に触れています」と前書きして中身をばらしたcritical essay集を書いたら、編集者は“掟破りのエッセイ”という副題を付けてくれた。
 ハメットは『マルタの鷹』の中でサンフランシスコの市内を細かく描いた。第2章で主人公のサム・スペードの相棒のマイルズ・アーチャーがダウンタウンのBurritt Alleyという実在の袋小路で射殺される。誰が犯人なのか、最終章である第20章で読者はやっと知るのだが、このBurritt Alley には市が作った真鍮の銘板が掲げられており、銘板には、”ON APPROXIMATELY THIS SPOT MILES ARCHER,PARTNER OF SAM SPADE, WAS DONE IN BY BRIGID O’SHAUGHNESSY”と刻まれている。(done inは〝ばらされた“の意味の俗語)
つまり、犯人の名前をはっきり書いてしまっているのだ。大変な掟破りだが、なにせ古典だし、わざわざこの場所まで足を運ぶ人は、とっくに犯人の名前を知っているはずだから、問題にならないわけだ。
直木賞作家の黒川博行さんの作品には本当にありそうな住所が続々と出てくる。例えば、”和歌山市釘貫丁5-3-16-B-604”。いかにも実在しそうなアドレスだが、調べてみたら、東釘貫丁、西釘貫丁、北釘貫丁はあるが、釘貫丁はなかった。”奈良県北葛城郡河合町川坊167-10”というのは、河合町には川坊という地名は存在せず、代わりに川合と山坊があった。作家はいろいろ工夫しておられる。

ニューヨークの風景

NYに駐在した期間は短かったが、妙なことを何度か目にした。
カーネギーホールの正面の歩道に三脚の譜台を立てて、ヴァイオリンを弾いている若い女を見かけた。たしかに有名な指揮者や音楽家が通りそうな場所だから、演奏を聴いて貰えるチャンスがあるかもしれない。立ち止まって耳を傾ける人はいなかったが、粛々と弾いている。照れもせずにこんなパーフォーマンスをやってのける度胸に感心した。ふるさとに帰ったら、あたし、カーネギーホールで演奏したのよと言うのかなと思った。
グランドセントラルから市内に行く地下鉄に乗っていたら、若い男が乗客に向かって喋り始めた。ぼくは仕事が見つからず、金がありません。ヤク中でもアル中でもないし、犯罪者でもありません。5セントか10セント、頂戴できれば助かります。そして視線を下に向けたまま、乗客の間を通りに抜けて、隣の車両に移って行った。彼の態度で印象的だったのは、もの欲しげに乗客の顔をきょろきょろ見回すでもなく、下を向いたまま誰とも目をあわさず、静かに去っていったことだ。乗客たちも彼を無視した。
人通りの多いブロードウェイの歩道の地べたにくたびれた顔の若い女が横坐りに座って、うしろに段ボールを拡げた看板を置いている。看板にはマーキングペンで、「ボーイフレンドとカリフォルニアから来ました。でも,彼が有り金を全部持ってどこかに消えてしまいました。わたしはカリフォルニアに帰りたい。誰か旅費をください。ただし、体は売りません」と書いてあった。
同じブロードウェイで、同じような段ボールの看板を掲げた男を見たことがある。浅黒い角ばった顔。西部劇でよく見かけたインディアン、というのは差別語らしいが、つまり先住民の男だ。目が会っても、にこりともせず、むしろ傲然とした目つきで見返してくる。50歳くらいか。彼の看板には“I want to go back to Arizona”とだけ書いてあった。おれの顔を見れば、何が望みか分かるはずだと言っている。
食糧部のS君らと日系のラーメン屋に行った。食べ終えて代金とチップチをテーブルに置いて出ようとしたら、日本人の女性店員が、「この店ではチップは15%いただくことになってますけど」と言う。チップが少ないと言ってるのだ。ケチったつもりはないのに、彼女にとって15%は当然の権利の主張だったようだ。冷たい不愛想な口調が記憶に残る。支払って、しらけた気分で店を出た。
あのヴァイオリン弾きはチャンスをつかみ、若者は朝飯を食べ、カリフォルニア娘はカリフォルニアへ、先住民はアリゾナへ帰っただろうか。