2018年7月16日心斎橋で、日本が世界に誇るファド(ポルトガルの民俗歌謡で世界無形文化遺産)歌手、月田秀子さんを偲ぶ会が開かれた。月田さんは、「黒いはしけ」などで日本でも有名だったアマリア・ロドリゲスから自らの後継者といわれたほどの名歌手であった。この会に出席した私は、そこで何年ぶりかで高畠夫人にお目にかかり、昨年月田さんが亡くなった日と高畠君が5年前に亡くなった日が、一日違いだったとお聞きした。
私が月田さんのことを知ったのは高畠君の紹介によってであるし、その後何度となく同じ関西人である月田さんの演奏会に誘ってくれたから、高畠君といえばすぐ思い出すのは月田さんのファドであるが、もちろん、それだけではない。ほかにも労働組合活動と映画評論の二つがある。

高畠君と私は昭和34年に同じ大学を出て日綿實業に入社した。当時は入社して二・三年のうちに「日綿、岩井産業を合併」とか「三菱商事、日綿を合併」といった新聞記事が飛び交うくらい、総合商社業界再編成の時期の只中であった。日商岩井や兼松江商が生まれて総合商社10社時代になる直前の、高度成長の入り口に当たる時期である。合併側も被合併側も大きな痛みを受けるこの時期に、合併反対運動を旗印に、日綿はクローズドショップの立派な労働組合を作り、社員・役員の生活の維持・向上に努力した。この時期に全商社労働組合連合会ができ、その議長として商社マンの労働条件の向上に貢献したのが高畠君である。同一労働同一賃金・土曜休日制など、どの業界よりも早く商社で実現してくれたのが彼であった。日銀から来た天下り副社長が残した過大借り入れを返すまでの長期無配時代にも、日綿は同業他社並みのベースアップを怠らなかった。「人を大切にしていきたい」ニチメンの思想(ニチメン人事部『変革への挑戦』1998年、58ページ参照。全員野球・全員経営)が合併直前まで残り、合併後も企業年金基金解散時の受給予定者への双日の配慮などを考えると、労組活動初期の高畠君らの活動に感謝せねばならぬことが多い。
高畠君と最後に会ったのは「商社9条の会」での浜矩子氏の講演に誘われた時で、彼は主催者だった。私はそのとき憲法9条と当時の経済政策との関係が講演を聴いてもよく分からなかったが、浜氏の近著(角川新書)を読むと、企業統治を含め大へんよくわかる。これも高畠君から教わったことの一つだ。

ファド・労組・映画が高畠君から教わった三大項目であるが、ファドと労組については実地にたくさん教わったけれど、映画については立派な彼の著書を一冊頂いただけで、実地に教わったことは一度もない。もっと長生きしてくれて、一緒に映画を見ながら実地にいろいろ教わりたかった。彼の著書には多くの古今東西の多くの名作映画の題名が並べられ、その一つ一つに丁寧な解説が付せられている。時代背景や関連する年表なども付されていて、読み物としても楽しいが、やはり一つ一つの古い映画のDVDを買ってきて、彼の著書に導かれながら鑑賞したい。彼が私に残してくれた楽しみの一つである。