MSD(東京原動機部)の濫觴を訪ねれば、1960~1970年代のニチメン大阪本社・産業機械課(MCS)である。1968年、ヤンマー商いを主体にして、東京本社に民族大移動で拠点を移した。名称も最初”エンジン農機部”から”原動機部”となった。

我らミニMSD会メンバーは、その頃、原動機部で、ともに机を並べて、連日の残業もいとわず、ワイワイがやがや、楽しく日々を送ったものです。

仕事もやったが、麻雀も良くやったものだ。病気知らずの元気な時代だった。原動機部の海外市場は、ベトナム、バングラデシュ、タイ、インド、パキスタン、フィリピン、米国、韓国、独逸 ETC.であった。

したがって、それらの国々には、MSDより夫々駐在員が派遣された。1975年のサイゴン陥落時には、漆崎、大平両駐在員は、命がけでサイゴン脱出したのも語り草。
パキスタンで、乗った飛行機が、ハイジャックされたが無事だった、南部駐在員。

夫々に語らせたら、話の泉で、出るわ出るわで、毎回語るは現下の国際情勢、国内政治経済の話題よりは、専らかつての仕事の話。駐在地における苦労話やヤンマーディーゼル、三菱重工、東洋社、古野電気 ETC.これら想い出のメーカーのことなど。

ミニMSD会での談論風発は、今や衰えてきた身心のREVITALZATIONの特効薬と思い、今後とも元気に集って大いに語り合いたいと思う。

尚 今回(10月6日)の会合は、中華街の四川料理の名店”景徳鎮”で行われ、特記事項として関西から吉田さんの初参加に加えかつてのMSDのお嬢様方、いまや美魔女の三人が参加したことである。集合写真をご覧下さい。驚くべきは、容色全く衰えていないこです。

当初 3-4人の横浜での昼食会から始まったのが今や最大14人のメンバーに拡大発展したことは誠に嬉しい限りである。

”VIVA ミニMSD会!”  
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後列左より
丸野純 岡田茂 大平栗雄 熊谷多恵子(野木) 吉田修一 樋口龍彦 藤井宏憲

前列左より
風間理絵(佐藤) 小堀裕子 長谷川洋 広本昌也 漆崎隆司

以上