1.タッカリゼーション

アメリカの作家の小説を読んでいると、聞いたこともない人物が出てくる。「トレント・ロットみたいな髪型」とか「長髪をオールバックにした扇動的な黒人説教師」といった表現は、アメリカに住んでいれば即座にぴんと来るのだろうが、ネットで検索しないと分からない。ロットは2002年頃共和党の院内総務だった上院議員で、失言して辞職した男だとすぐに分かったが、黒人説教師のほうはかなり手間取ってから、挑発的な言動で白人を攻撃したアル・シャープトンらしいと判明した。どちらも、一時期マスコミで話題になった曲者のようだ。彼らに言及しているのは、作家が共和党や説教師の言動を婉曲に揶揄している含みがある。
作家を研究するとなると、こんな風に作中に出てくる人物を調べ、作家がその人物に言及した裏にあるものを探り出さねばならないが、妙な迷路に入り込んで翻弄されることもある。エド・マクベインの小説だと、公園や街の広場に将軍の銅像が出てくる。ある作品に「風の彼方を見つめる馬上のハーバート・アレクザンダー将軍の銅像」が登場した。これは作者の歴史への関心を示すヒントだと思い込んで、馬上の将軍なら西部開拓か南北戦争の時代だろうと見当をつけて歴史書や百科事典を調べ、わざわざ都立中央図書館にまで行ったが、見つからない。その後、他の作品の最後のページにこの名前を見つけた。邦訳では省略されていた1ページに編集者の叱咤激励に感謝する言葉が述べられており、その編集者の名前がハーバート・アレクザンダーだった。
マクベインは編集者を将軍にして感謝の気持ちをユーモラスに示したわけだ。

この発見のおかげで、銅像の将軍たちのある者は火曜日の夜のポーカー仲間だったり、公園の隅で鳩の糞にまみれているリチャード・コンドン将軍というのは、マクベインが駆け出しの頃はまだ若手の刑事だったが、後年はニューヨーク市の警視総監になった人だったと判明した。一度会ったが、警察官というよりは大企業の会長のような風格があった。
こういうのをtuckerization という。50年代のSF作家のウイルソン・タッカーが自作の小説の端役に友人たちの名前を仲間うちのジョークとして使ったことから始まった。マクベインは将軍の銅像に限らず、フェリーボート、劇場、スケートリンク、ストリート、学校の名前などに友人の名前を使った。作中で殺される女がエド・ヴィクター高校卒だったと出てきて、エド・ヴィクターって誰だと思っていたら、何かの拍子に、フレデリック・フォーサイスやマクベインのイギリスの版権エージェントであるのを見つけた。
彼が1998年に発表した『最後の希望』の第10章にフロリダのカルーサ市(架空の街)のハイスクールの生徒たちがスクールバスをかっぱらって遠出するエピソードが出てくる。このハイスクールの名前が私のペンネームになっていた。驚いたとマクベインに伝えると、ほー、きみの名前と同じ学校があったとは何たる偶然だ、あの学校はイエールやハーヴァードへの進学率の高い名門校だよとふざけた返事が来た。学校の名前になるのは、必ずしも学校の創立者だという意味ではなく、JFK空港、ダヴィンチ空港のように偉人の名を不滅のものとする(immortalize)ためのジェスチュアである。

2. 誤訳

どこかに出張した途次,当機はまもなくカルカッタ・ダムダム空港に到着いたしますという機内アナウンスを聞いて、昔、ダムダム弾と呼ばれる銃弾があったのを思い出した。殺傷力が強く、非人道的な武器と見なされ,1899年のハーグ会議で戦闘での使用禁止の協定が成立している。そのダムダム弾とカルカッタ空港と関係あるのかと調べてみたら、ダムダム弾を製造したのがカルカッタ北部のダムダムにあったイギリスの造兵廠のOrdnance Factory Dumdumだった。ネットで見ると、いまも同じ場所にインド軍の造兵廠がある。
弾頭が硬金属で被覆されている銃弾は人体を貫通するが、ダムダム弾のように軟らかい金属の弾頭(soft-nosed)だと、命中したときにひしゃげて大きくなり、負傷がひどくなる。ダムダム弾という呼び方はいまも英和辞典に載っているものの、ほとんど死語だが、銃弾自体はsoft-nosed bulletの名称で現存している。
最近好評のアクション小説の翻訳にソフトノーズの22口径弾の拳銃を使う暗殺者が出てくる。22口径の弾は直径5.5ミリである。被害者の検死をした医師が射入口が小さく射出口が破裂したように大きいと説明する。それを聞いた主人公は「ソフトノーズ弾はまさにそういう銃創を残す。まず、体内に入った瞬間、弾はひしゃげる。そして4分の1ほどの鉛のかたまりとなって、組織をつき破っていく。体外に出るときは、大きな穴をあける」と考える。よく読んでみるとこの訳文はどうもおかしい。“4分の1”になるのなら、大きくなるのではなくて小さくなって、5.5ミリの弾が1.375ミリになると言っているのだから、辻褄が合わない。暫く考えてから思い当たった。‘4分の1’の原文はaquarterなのではないか。quarterには25セント硬貨の意味もある。このコインの直径は24.257ミリだ。5.5ミリの弾が射出口では25セント玉の大きさの傷を残すと言っているのだと思う。

3. ミスプリント

輸出プラントの契約書には日本から派遣する技師に処遇に関する細かい規定が盛り込まれている。ある契約書を読んでいて、たまげた。技師が派遣期間中に死亡した場合は、荼毘に付して遺族に‘arm’を、つまり片腕を送ると書いてある。片腕をちょんぎる?まさか、どう考えてもおかしい。
ほかの契約書と照らし合わせてみて、‘arm’は‘urn’(骨壺)のミスタイプだと分かった。幸い、在職中に片腕が送られてきた事件はなかった。
ミスプリントといえば、investという単語を入れた手紙をタイプしてもらったら、‘incest’〈近親相姦〉とミスタイプされたことがある。
タイプライターのキーは、cとvが隣り合わせに並んでいるから、ほんのちょっとした間違いなのだが、出状前に発見したので恥をかかずにすんだ