会社をリタイアしたとき、それまで心に描いてきたわが余生の楽しみの一は云うまでもなく読書だった。真っ先に頭に浮かんだのはダンテの「神曲」とゲーテの「ファウスト」だがそれにはわけがあった。この二作はいずれも在職中に何度か手がけたことはあったのだが、そのたびに途中で読み止しのまま放置してきたのは中味が難解で面白くなかったからである。

今年傘寿を迎えたある日、ふとした読み物のなかにゲーテの記事がわたしの目にとまった。それによると彼が亡くなったのは82歳のときとあり、なんとあのファウストの第二部を書上げたのは亡くなる前年のことだったという。ならば今年80歳になったわたしでも、今にして読んで分かるのではないかと思い直し、やにわにまた読みはじめようとした次第であった。

もともと「ファウスト」第一部はゲーテ初恋の人グレートヒェンに因んだ悲恋(悲劇)の物語である。読んでとびきり面白いのは額面通りだが、全体から見れば五幕物の第二部に対しての序幕ともいえる。やはり問題は第二部の方である。

こんな日のこともあろうかと、わたしはこれまでにも「フランス革命」だけは詳しく歴史をひもといてきたつもりだったし、ドイツの歴史については「神聖ローマ帝国」のこともひととおり学んできた。とりわけ「ハプスブルク家」のことは注意深く読んできた自負もあった。この程度の歴史的な背景が頭のなかにありさえすれば「ファウスト」第二部も理解できるはずだと考えたからであった。というのもその前にダンテの「神曲」なら何とか読み終えることができたのは、わたしの好きな皇帝フリードリッヒ二世を読み込んでゆくうち、13世紀のイタリア半島という両者共通の時代背景がのみこめたとき、ダンテが「神曲」で言いたいことがこつ然と理解できたように思えたからである。

ところが今度はそうは問屋がおろさなかったのである。こんどまた「ファウスト」を読むうち、第一部はよいとしても第二部にさしかかった途端にまたわけがわからなくなる。一時はこんな難解なものは金輪際やめにしようかとも思ったが、そこはいまさら時間がないわけではないし思い直すことにした。

思えばゲーテがファウストの第一部を刊行したのが1808年、ときに彼は59歳であった。その彼が第二部を書上げたのが82歳のときだったというから、それ以来およそ23年の間ゲーテは死ぬ間際まで、ファウストをテーマとして心にあたためつづけていたことになる。因みに彼は20代半ばに「原ファウスト」と呼ばれる作品に手をそめており、更には41歳のとき「ファウスト断章」という文章を発表しているという。

これらのことを勘案すれば「ファウスト」こそは、天才詩人ゲーテ80年の畢生をかけた大遺作品であることが知れる。一読者がこれを難解だからというだけの理由で読まずして一生を終えるとしたならば、生涯の損と知らねばなるまい。そう決心したのだった。とはいえ今度はこの書の難解に対処するため一工夫こらすことにした。第二部にさしかかったところで、これを一旦読み止しのまま棚上げとし、かわりにゲーテ自身による有名な自伝「詩と真実」と、助手のエッカーマンに書かせた「ゲーテとの対話」を先行して読むことにしたのである。

この大詩人が「ファウスト」で描こうとした生涯の体験(小宇宙の)や思想(大宇宙の)を理解するには、彼が全篇に駆使する寓意(アレゴリー)や暗喩(メタファー)に依るだけでは一層無理がある。とりわけゲーテ独特の大宇宙の哲学などの理解には「詩」をもってするよりは、彼自身の原体験としての「真実」を知る方が手っ取り早いことに気がついたというわけであった。

この決断はわれながらなかなかに有効であった。

ゲーテという男は文字通り天才的な詩人であり文学者であることは天下周知だが、音楽や美術・絵画といった分野での造詣もただものではない。また自然科学者(色彩学をはじめとして鉱物学、動・植物学、解剖学や医学など)としての活躍にも目覚ましいものあり、さらには御当地ワイマールでは宰相まで務め上げたれっきとした政治家・法律家でもあった。要するに当時の言葉でいうならば「大宇宙的」なマルチ天才型マルチ人間とでも言おうか。

それだけではない。彼のもう一面の特徴はといえば哲学と宗教にめっぽう強い興味と関心を示していたことであった。彼が青年期からスピノザの汎神論的な哲学にぞっこん魅了されていたことはつとに有名だし、ドイツ観念論的な哲学には拒否反応を示していたものの哲学者カントだけには敬意の念を持していたことなどが知られている。因みに同時代を生きた哲学者ヘーゲルとは面談したこともあり文通もあったが、この大御所の哲学が説く時代精神とか絶対精神というものを嫌っていたことは、「ファウスト」の文中にもそれとなく出てくる。ゲーテはヘーゲル哲学のなかにキリスト教の理念が入り込んできていることに違和感を覚えていたきらいがある。

彼の宗教観をひとことで言うとすれば、自然と神は同一であるというに尽きようか。むろんキリスト教徒ではあったものの、ときには異端視されることもあったのはそのためであり、また錬金術のような神秘主義を好んだためともいわれる。

ゲーテの「詩と真実」はルソーの「告白」と並んで、今も自伝物としては世界の最高傑作といわれているらしい。それはさておき、彼がこの自伝とエッカーマンに書かせた「ゲーテとの対話」、それに「ファウスト」を加えた三作品は、最晩年のゲーテが自分の確かな遺志(正式な遺書は別途書き残している)として世に問うたものであろう。今風に言えばゲーテらしい几帳面な“終活”とでもいうべきものの結果であったといえよう。

それだけに、わたしが「ファウスト」を理解するのにこれらを三部作のようにして同時に読むことができたことは僥倖といえた。私にとってゲーテ独特の寓意と暗喩につつみこまれた大宇宙論の探索には、彼の戯曲だけではなく原体験としての「真実」が必要だったからである。

しかし小宇宙にしても大宇宙にしても彼の哲学や思想を解明することが今のわたしの本意ではない。それよりは「ファウスト」でこの歳になるまでわたしを悩ました主要な原因と思われる錬金術(Alchemy)について、下記に思うところを書き残してこの書を読み終えた縁としたいのである。

錬金術についていえばまずファウストの名前だが、これは15・6世紀頃の中世ヨーロッパに実在した著名な錬金術師(Alchemist)のことで、ゲーテが幼少のころから感激し興奮して止まなかったとされる伝説上の魁偉である。先述のように彼は59歳のとき「ファウスト」第一部を書上げたが、このときこの大作の題名に件の錬金術師ファウストの名前を冠することに、ゲーテはなんの躊躇もなかったろう。それほどまでに幼少時代からのファウストへ思い入れは晩年に向かうほどに募り、ついには病膏肓となり戯曲「ファウスト」の端緒となったものと思われる。

もともと錬金術は古代エジプトに起こり、アラビアを経由してヨーロッパに伝わった原始的な化学技術のこととされる。それが中世ヨーロッパを風靡したのは、究極の目的が化学的に“金”を合成するという古来人間の夢がかかっていたからであろう。しかし事実はそれだけではない。その頃の中世ヨーロッパにあっては、現代では信じがたいことだが、科学(science)そのものは学問の代表格だった哲学(philosophy)の一部門とみなされていたのだ。こうした時代背景のもとでは、科学(化学)としての錬金術もまた哲学の範疇に属していたのは当然であった。

とはいえ中世から近代にかけての西洋哲学は宗教哲学同然といってよく、また宗教そのものも純粋なものからまやかしに至るまで混然としていた。従い錬金術自体も純粋な化学技術とは言い難く、占星術やら各種の魔術と見境のつかない雑多な宇宙哲学の様相を呈していたことは容易に想像される。このことが後代の大詩人ゲーテというマルチ天才型マルチ人間の好奇心をあやしく燃え立たせたのだろう。

彼が森羅万象(自然)をみる観察眼は科学者のものだったから、中世ヨーロッパの錬金術師たちが精魂打ちこんだAlchemyを化学技術として受け止める確かな目は持っていた。しかしその一方で彼らが繰り出した大宇宙の哲学なら、それが神秘的で魔術的であればあるほど、ありのままに理解し感激し興奮もした詩人の心もまた確かなことであったろう。畢竟するにゲーテは終生の大遺作品「ファウスト」の中で、中世のAlchemistに寓意と暗喩を託し己の生涯の姿と思想をまるごと投影してみせたかったのだ。

中世ヨーロッパの錬金術が秘術をつくして挑戦した「賢者の石」、すなわち“金”や不老長寿薬の合成は結局実現することはなかった。その賢者が夢みた「人造人間」も夢のまた夢のままで潰えた。しかし詩人ゲーテはといえば、「ファウスト」第二部冒頭の第一幕「皇帝の城」の場面から、Alchemistファウストの錬金術を巧みな寓意に包みながらこの戯曲の難解な見せ場をつくりはじめる。なぜ皇帝でなければならないのか、それがなぜ大宇宙に因むというのか現代の読者の挫折がここに始まっている。

それはともかくとしてこの皇帝は宰相(実際は悪魔メフィストフェレスなのだが)の意見をいれてしゃにむに造幣量をふやすことで財政破綻を脱することに一旦は成功する。紙幣増発の担保は地下に埋蔵されている無尽蔵と思われた“金”をもってするとされる。ここに見られる暗喩は、金の合成と紙幣の発行という奇妙な符号が想わせる後代の金本位制であろう。小公国とはいえワイマールという一領邦国家の宰相をつとめ、財政難も経験したはずの鉱物学者でもあったゲーテにとって、これは「ファウスト」を書き起こすことの原点だったことをうかがわせるに足る。

さて皇帝についてだが、「ファウスト」の訳者の脚注にはこれは「神聖ローマ帝国」の皇帝とある。そもそもこの帝国というは、甚だけったいな歴史的遺構というべきで、実態は帝国はおろか国家の体をなしていなかったのである。ではなんだったのかと問われれば領邦国家群だったと答えるしかない。実際問題として神聖ローマ帝国は1806年、ゲーテがまだ活躍中のころ歴史を閉じる(崩壊する)のだが、それまでは大雑把にいえば三百有余の大小諸侯の領域国(都市や領邦)から成る連合体(合衆体とでもいおうか)であった。皇帝はハプスブルク家に代表されるように確かに存在はしてきたが、それはいくつかの諸侯の中の有力な者(選帝侯)によって選ばれてきた。しかし各諸侯の実権は極めて強大だったから、実際には皇帝はいても帝国は存在しないも同然というのが不思議な実体であった。ドイツ民族にとって神聖ローマ帝国というのは、古代ローマ帝国への限りない憧憬と、自らがその後裔たるべしとの祈りにも似た願望とが生んだ、一種まぼろしの「帝国のかたち」だったように思える。

大哲学者カントが生涯にわたり生誕地のケーニヒスベルクの要塞から一歩も外に出たことがないという逸話は有名だが、それはまたドイツ統一以前の市民による「小宇宙と大宇宙」という概念を説明して妙なるものがある。カントよろしく小宇宙というは自分が住む都市であり領邦内のことだが、その要塞なり境界を一歩でも越えたところは天空を含めて大宇宙を意味したのだ。同様にして中世ヨーロッパの錬金術が展開する哲学は、常に大小の宇宙とその間の関係論を論じ立てていたように見受けられる。ゲーテの「ファウスト」もその例にならって第一部は小宇宙、第二部は大宇宙というわけである。厳しい社会的閉鎖状態が生んだ観念論的な現象といえようか。さらには小公国ワイマールの一市民としてのゲーテにとっても、神聖ローマ帝国であれその皇帝であれ、Alchemyが指し示す大宇宙のことを意味したことが知れる。

以上が難解な「ファウスト」第二部の冒頭で出くわした「皇帝」を切り口として、挑戦者のわたしが試みた後知恵入りの解説である。戯曲はこのあともAlchemistに寓意を託しながらえんえんとつづくが、わたしの読解はこのへんでとどめ置く。その代り以下に「ファウスト」の読後感をしたためて脱稿することとしたい。この書が難解であることは再三ふれてきたが、今改めて考えてみたいからである

第一に言うまでもないことだがわれわれ現代人にとっては、だださえ難解なヨーロッパ中世の錬金術が、それも寓意と暗喩に用いられている戯曲の仕掛けに求められよう。それに天才詩人ゲーテが得意とするドイツ語による脚韻を踏む詩形は、ドイツ語を理解しない外国人にとって不利はまぬがれない。日本語の俳句や短歌の短詩型が外国人には困難を伴うに似ている。

第二には作家がゲーテという稀代のマルチ天才型人間の、空想・哲学・宗教・科学の一切を包含して宇宙にひろがる好奇心と探究心は、時代を超えて常人の追随をゆるさない。

第三にゲーテの時代とも、疾風怒涛(シュトルム・ウント・ドラング)の時代ともいわれた18世紀末から19世紀初頭の、世界史的にも特殊なドイツの時代環境を措いて「ファウスト」を語ることはできない。ゲーテが目の当たりにしてきたフランス革命からナポレオンの興亡(彼はゲーテに面会したことがある)、そして反革命。それら文字通りの疾風怒涛がゲーテを直撃したことは事実だが、その真只中にありながら「ゲーテの時代」といわれたこの時期ドイツの奇妙な教養文化的平穏に注目しなければならないだろう。

先述の神聖ローマ帝国の実体だった当時の領邦国家群のことを思い浮かべてみよう。ゲーテが住み込んだワイマール公国も例外ではないが、数多くひしめいていた侯国(領邦)はそのいずれもが専制君主の支配下にあった。ところがこれら専制君主(王)たちの権力に最も密接な関係にあったのが、なんと官僚・法曹・学者・芸術家など当時新興の知識(教養)階層だったといわれる。ゲーテはまさにこの知識階級の代表のようにして、領邦国家群の中を大宇宙的に破格の学術的、文化的(芸術的)な自由を享受していたのである。

最後にゲーテの自伝「詩と真実」を読んでから、わたしの脳裏を離れがたく思えるハプスブルク家の皇帝ヨーゼフ二世のことにふれておきたい。ゲーテ年の頃15,6歳の少年時代かと思われるが、この皇帝の戴冠式がゲーテの生地フランクフルトで催されたときのことだ。彼はこの書の中で目を剝くような豪華絢爛たる式次第の様子に興奮し、市内の行事行列を飛び跳ね追いかけまわす少年ゲーテの姿を見事なまでに描写している。

「ファウスト」の中で皇帝というとき、ゲーテの頭にはまずヨーゼフ二世のことが浮かんだことだろう。それにこれを読んだ当時のドイツ人なら(領邦国家といえどもドイツ人としての国民意識はあったらしい)、皇帝と聞けばそれはヨーゼフ二世ならずとも、その母マリア・テレジアか、妹のマリー・アントワネット(ルイ16世の妃)ぐらいは想い起したに違いない。落日の神聖ローマ帝国をしのぶ懐旧の念は共通のものだったはずだから。

われわれ現代の日本人読者が「ファウスト」の皇帝の城の中で、その行間にこのような皇帝に対する感懐をドイツ人と共有できることは望むべくもない。時空はあまりに遠い彼方である。そのこともわれわれに今「ファウスト」を限りなく困難なものとしているように思われる。

(おわり)